なぜ私はひきこもりなのか
いつの頃からか。
私は対人関係にひどく緊張感を持つようになった。
それがため学校という空間は友達と楽しく交流する場ではなかった。
「いかにして学校生活をやり過ごすのか?」を考えねばならない、緊張を強いられる場となっていた。
しかしながら、不安を抱えていることを正直に話すことはなかった。
むしろ、気がつかれまいと無理を重ねていた。
同級生には
「こんにちは。」
「ありがとう。」
「ごめん。」
と言うけれど、それ以上に打ち解けた会話などしたことがなかった。
いつも、ぎこちない行動ばかりであった。
熱心な教職員がいて、助けてくれる。
そんな映画のような展開は、私には無かった。もしかしたら、私が教職員の素質を見抜けておらず、本当は頼れる人がいたのかもしれないが。
とにかく、私には救いが無かった。
それに近いことはあった。
時々、私のことを見抜いたかのように声を掛けてくれる子が、少数だがいた。
人からの優しさを感じられた、数少ない体験だった。
私生活では、正に「貧乏暇なし」であった。
いつも生活に追われ、あらゆることを我慢して生きてきた。
こういった鬱屈した生活の中で、楽しみもなかった。
このような疲れ切った生活の中で、私は消去法として家に居ることを選択するようになった。
出口無し、の苦しみを避けるための自然な流れなのだろう。
これが私がひきこもりである理由だ。
通院することで、楽にはなれども即座に解決を迎えられるわけではない。
医師が言うには「服薬とは、自転車の補助輪のようなもの。漕ぐのは患者本人。」
カウンセラーが言うには「私たちカウンセラーが直すのではないのです。患者さん本人が治すのです。」
私自身は医師でも看護師でもありませんが、精神科の病気を糖尿病に置き換えるて話せるのではないでしょうか。
大人になってから罹る、Ⅱ型糖尿病。この原因の多くは肥満だと言われています。
ですので、対処は食生活の管理が重要となります。
医師は患者の健康状態を診察。異常値が出ていないか、順調に治療が進んでいないかを見ます。また状況に応じて、薬を処方して悪しき状態への処置を行います。
そして、管理栄養士の指導の元、適切な食生活の助言をもらいます。
良い食生活を守っていくのは患者本人の仕事なのです。医師から薬をもらい、管理栄養士の話を聞いていれば、患者はお菓子やビールを食べ放題飲み放題なわけではないのです。
人と向き合う時に、全身の筋肉がこわばること、手が震えてしまうこと、いつも頭がボーっとして集中力が落ちていること、まともに眠れないこと、味覚が異常になっていること、確認作業を繰り返すこと・・・
これらは私自身が向き合う他ないのです。
仮に私が癌患者であったとしても、同様でしょう。
投薬治療に耐えるのは私。運動が必要ならば、運動するのは私。禁煙の必要があるのなら、吸わないのは私。避けるべき食品を食べないのは私。
病気とは容易に乗り越えられることではなく、病気に呪われた人生に何度も絶望する。
「なぜ私には命があるんだ!命があるために、苦痛が生じているんだ!」
さあ、叫ぶんだ!さあ、泣くんだ!
見よ、そこにあるのは白眼視なのだ。
稀に自己犠牲的な人が寄ってこよう。しかし、その先にあるのは共倒れだろう。
ヤケになっても、何も得られないのです。
自然の摂理とは、どこまでも冷血なのです。
人生には救いなど存在せず、あるのは一歩一歩と歩んでいく己しか存在しないのです。
今は疲れた。ならば休もう。
その後に、また一歩・・・