未来は地獄でなければならない? 親ガチャ・毒親より問題なこと




編集注:筆者は社会学者でも心理学者でもありません。あくまで私見を書いていることをご承知の上、読み進めてください。]


「親ガチャ」という俗語が、2021年に流行しました。
いかなる言葉なのか私なりに説明しますと「恵まれた親の元に生まれなかったがため、成功とは程遠い人生を送ることになる。」という、悲観的な思考のことです。

なるほど。
確かに富裕層の子供は、信じがたいほどの教育費をかけてもらえます。
そして、エリートな学校を出るや高給をもらえる職業に就く。

圧倒的な経済格差は、社会人になる前から存在しており、その格差は終生にわたり変えることができない。
世の大多数に絶望が漂うのも無理のない話でしょう。


次の俗語に移ります。
「毒親」という俗語が2015年ごろより流行しています。
これまた私なりに説明しますと「毒と比喩されるような悪影響を子に与える親。」のことを言い、過干渉や歪んだプライドなど問題な子育てをしてきた親を指して使われています。

子どもの生き辛さの背景には毒親の悪しき影響があるのかもしれません。


私自身は、親というクジ引きに思い切りはずれたのかもしれません。
具体的なエピソードを披露する気はありませんが、私なりに思い至る点はあります。

ざっと自らの半生を振り返りますと絵に描いたような敗北人生です。
こうであるのは、やはり、親が・・・・
と言いたいのですが、これには問題があります。

確かに親に恵まれなかったにしても、自らがどう行動するのかが問うていないことです。
人生とは否が応でも配られたカードでゲームをするしかないのですから。


ここで仮定の話をします。

親が煙草を吸いまくるニコチン依存症であり、家庭内でバンバン吸っているいるとします。
そうなると、子も副流煙で幼少期より依存になることがあります。
おまけに、7歳になった時からは親から煙草をもらって吸っていた。
(実際問題、小学生の時より、親から煙草をもらっていた人が実在しています。)

こうなると、親が悪いのは言うまでもないことです。

ですが!
当人がある程度の年齢以上となった時、喫煙を続けるのか。はたまた、禁煙に踏み切るのか。
それを自発的に選択することはできます。

勿論、成人してから喫煙を始めた人よりも、ニコチンへの依存性が強くて禁煙達成への道は困難になることでしょう。
また、禁煙を成功させたとしても、全く吸わない人よりも病気のリスクが下がることはないでしょう。

しなしながら、今より病気のリスクを増やさないことは事実でしょう。
このようにメリットがあるのですから、喫煙習慣ができるまでの課程がどうであれ、禁煙しない理由など存在するとは思えません。

禁煙の方法は、いくつか考えられるでしょう。
  • 知識を得る(例えば、成功者の体験談を調べる。)
  • 専門家の力を借りる(例えば、医者。)
  • 煙草に変わる気分転換の方法を作る。
  • 達成しやすく、小さい目標設定をする。
  • 同じ目標の仲間を見つける。
などなど、今まで煙草に頼ってきた人生を変える手段は多くあることでしょう。


しかしながら、これらは未来に地獄を設定することになります。
煙草があるという天国を断ち切って、煙草が無いと言う地獄を設定すると言うことになるからです。

ですが、人生はどこかで地獄を設定しなければ、今まで来た流れを変えることができないと思います。
今までと同じ事は心地良いのですが、それだと変化は決して起きないからです。

成人しているのならば、これから先を変えることができるのは自分自身の他に誰もいません。
もう「親が・・・」うんぬんを言える時期は過ぎてしまったのです。


流れを変えるべく困難(地獄)を課すのか。
私の説が真ならば、未来は地獄でなければないらないのかもしれません。
そうでなかったら、更なる先は、本当の地獄になるかもしれないからです。

何しろ、本当の地獄に甘んじている実例として、両親、更には祖父母がそうなのではないでしょうか。
更に言うと、曾祖父母、先祖代々・・・。

彼らが自分を変えるべく、涙ぐましい努力を重ねてきたのならば、子の私から見た記憶は変わっていたのでしょう。
「小学校までしか出ていないのだが、独学で勉強をして博識になった。」
「叔父や叔母は、親を『融通の利かない奴だった。』と言うが、今では臨機応変に行動している。」
などなど、考えられるエピソードは多々あります。

だが、そうではなかった。
そして!
私自身もそうではない!

私自身は現在、未婚です。
この先、仮に結婚できて子供ができたとしましょう。
今のままの私でしたらして明らかに「親ガチャに外れた。」「毒親だ。」と呼ばれることでしょう。

やはり、未来は地獄であるのが良いことでしょう。
より厳密に申しますと、地獄ではなく煉獄(れんごく)でありましょう。

これはカソリック(カトリック)の教義なのですが、煉獄とは「小罪を犯した死者の霊が、天国に入る前に、炎によって罪の浄化を受ける場所。」です。

未来は煉獄でなければならないのかもしれません。