ピンチの時ほど動けない



私がまだ「学生さんですか?」と間違えられるくらいの年齢のころです。
臨床心理士の資格を持つ方から
「キタノさん、最近はどんな番組を見たの?」
と聞かれて、アメリカのTV局が制作したドキュメンタリー番組のことを話しました。

内容は、高校で問題行動を起こした生徒が、一定期間通わなければならない特別な学校に密着したものです。
具体例を挙げますと、黒人の両親の元に生まれた少年は、父が麻薬取引で有罪判決を受けて服役中。
元の高校で暴力行為をしたために、特別な学校に通うことを課せられたのです。

すると、その臨床心理士さんは
「そのような環境だと、その生徒も集中できないものだね。」
とコメントしたのでした。
当時の私には、意外なコメントと思えました。
こう申しますのも、それまでに周囲から聞こえて来そうなコメントは
「その生徒は早く苦境から抜け出さないとね。」
「強く生きないといけないよね。」
「高校は必ず卒業して、良い企業に採用されるといいね。」
といったものだったからです。

確かに、何とか高校を卒業して有利な仕事に就けることは大きな意味があることでしょう。
しかし、それ以前に、今この瞬間が苦しいのであって、問題な行動として表出してしまっているのです。
大きなノイズが響き渡る環境下において、集中して数学の問題を習得し、有利な資格取得に励むのは困難と言わずして何なのでしょうか。

ここまで大きな問題とは言わずとも、次のような例も考えられるかもしれません。
ある14歳の子は、夜更かしをして睡眠不足でいます。
夜中にやっていることは、クラスメイトとのメッセージのやり取り。
何とバカバカしい、と思えるかと思います。
本人も睡眠の重要性はわかっており、同じ時間を使うのなら英語の勉強をしている方が有意義とは理解しています。

しかし、そのようにする理由には、孤独感を埋めたいがために取っているかもしれません。
その理由は、家族と悩み事を相談することが不可能な家庭環境であるためなのかもしれません。

複数の悩みを抱えたら、戦略的にパッパッと動けるのでしょうか?
むしろ、お酒に走って現実逃避を求めるのではないでしょうか?

ゆえに、ピンチの時ほど動けないのであって、そして必要とするのは説教ではなくて援助ではないでしょうか。

ピンチの時ほど動かなければならないことには同意します。
ですが、動ける人っています?どうやっているのか教えてもらえますか?