平和の偽装 和解は解決方法なのか?
痛ましい事件を知りました。
2024年5月。
神奈川県茅ケ崎市の小学校の図書室において、2年生の女子児童が6年生の男子児童3人に囲まれ、服の上から下半身を何回も触られる性被害が発生。
女児の保護者が学校に連絡し、学校側の聞き取り調査に対して男児らは事実を認め、他の女児にも触ったことがあると証言。
学校側は、両者が接触しないよう対策を取ることにしたものの、被害が起きた翌6月には、避難訓練に際して女児と男児が教室で鉢合わせする事態が発生。
女児は高熱を出して学校を10日間欠席しPTSDと診断される。
更に翌7月。教員が加害男児たちの反省文を代読して聞かせると、女児は「もう関わり合いになりたくない」と恐怖心を抱く事態に。
また、反省文を聞かせることは事前に女児の保護者には連絡していなかったとのこと。
情報引用元
この件について、私が外野であることを百も承知で申しますが、女児に対して男児の反省文を聞かせることは必要なのでしょうか?
最も必要なことは、両者を切り離した状態に置いておくことではないでしょうか?
かなり異なりますが他の場面で例えるなら、2024年時点でロシアによるウクライナ侵攻が続いていますが、ロシアの大統領が
「もうウクライナに攻め込まない。」
と声明を発表して、誰もが納得するのでしょうか?
それよりかは
「ロシアとウクライナの両国国境に、平和維持のための多国籍からなる国連軍の展開を受け入れる。」
と宣言した方が、よほど信憑性があります。
これを例の被害女児の件で言うならば
「もう先生たちは、2度とあの6年生たちと遭遇しないように対策を取る。特別に支援してくれる女性の職員にも来てもらうからね。」
と聞かせる方が、反省文を聞かせるよりも最善のように思えるものです。
そもそも論、被害者と加害者の支援を抱き合わせにしなければならないのでしょうか?
分離させて考えてはいけないのでしょうか?
分離させて考えてはいけないのでしょうか?
それぞれ別々の道を歩ませるのであり、わざわざ間接的ながらも接点を持たせる必要性があるとは思えません。
学校でとった対策の全貌は知りかねますが、どうも
「和解できました」
「平和に解決できました」
という、うそ偽り正義、即ち虚妄の正義で取り繕うとする考えがあるようにしか思えません。
いくら児童とは言えど、分離も立派な解決方法だと思うのですが。
仮に、これが大人で起きた被害だとします。
満員電車内において20歳の女性が40歳の男性より痴漢されました。
和解って必要ですか?
女性の方は、加害男性が自らの人生からの分離が欲しいのではないでしょうか?
見てくれのために、偽装する行為は高潔なのでしょうか?
「外野は黙っておれ!」
それは一理ありましょう。
しかし、見事な対処により外野が黙るしか無い状態にしたり、はたまた賞賛する事態にするのはいかがでしょうか。