骨折した足で歩いて来た
「骨折した足で歩いて来た」
私の半生を端的に表現すれば、こう言えることでしょう。
私はいつの頃からか、対人関係に自信を持てなくなっていました。
それがために不器用な振る舞いをすることに対して、奇異な目を向けられてきました。対して私の方も、真相を話そうとはしてきませんでした。現在はともかく、かつてはそうでした。
こうなると、温かい善意を差し向けられずに、むしろ侮蔑的な扱いを向けられるのは自然な流れです。
周囲の人々にしても、私の歩き方が奇妙であることは認知できても、骨折までを見抜けた人は数少なかったものです。
もしも、かつて周囲にいた 文字通り彼らは友人とは呼べず、偶然によって居合わせただけの他人なのです が当時の私についてを語るとしたら、人の数だけ自説を伴って(つまり、事実をつかんでいないがために統一的見解が出されずに)私の奇異さについての解説を展開することでしょう。
骨折していても、社会は進んで行ってしまいます。
何とか追いつかんと焦りますし、何より周囲がせかします。
しかし、やがて差が埋めがたいほど遠くなると、やっと追いつくことを放棄するようになり、骨折に向き合うことを始めます。
こうなって来たとき、もはや早く歩くことに意識は向かっておらず、歩くにしてもそれは骨折の予防を第一に考えたものに変わってきました。
これが私の半生を比喩的に語ったものですが、もし読者の中に私より若い世代の方がいたら言いたいことがあります。
取り残される不安があるけれど、骨折の治療を優先する勇気を持ってはどうでしょうか、と。