泣くとキレるは最低の行為
初めに申し上げてならないことが、私は泣くこともキレることも全面否定はしていません。
これらは人間らしい感情にあふれた行為に他なりません。
かく言う私自身も泣きますし、キレます。
喜びに際して泣くことに、私は何ら反対しません。
素晴らしいではありませんか。
闘いにおいてキレることに、私は何ら反対しません。
必要ではありませんか。
他方で、最低な面も持ち合わせていることを指摘しておきたいのです。
もし、泣くこととキレることが困難に直面したり、非難されているシーンで用いられたら。
このことには最低でしかないと思えてなりません。
例えば成績が悪くて叱責されて泣いたところ、成績がよくなるのでしょうか?
そんな話、聞いたことがありません。
そんな話、聞いたことがありません。
また、そこでキレたところで、成績がよくなるのでしょうか?
これまたそんな話、聞いたことがありません。
また、いわれのない誹謗中傷を受けて泣いたところで、中傷は止まるのでしょうか?
キレたらば止まるのでしょうか?
どちらの場合も、止まったケースを聞いたことがありません。
しかるべき対応とは、勉強なり営業の成績が悪い理由を明確にし、かつ対処方法を見つけ出し、無理なく実行できる方法を確立させることです。
中傷に対して、戦略と支援をもって闘争することです。
泣くかキレるかは、対応することを拒絶するための道具ではないでしょうか。
何の利益にもならない下劣な行為に思えてなりません。
いや待て。メリット(!?)があります。
- その場をしのげます。
- 課題に向き合わなくて済みます。
もしもこれを最高だと思う方は、今日から泣きまくってキレまくりましょう。
あなたは人生を一歩も進められませんが、その場の感情を心地よくすることができます。
ただし、蟻地獄が永久に続くことが漏れなくセットであるのです。
いや、これも泣くかキレるで対処(と言うか、その場しのぎ。)するのです。
繰り返しますが、私は泣くこともキレることを全面否定はしていません。
しかし、誤用をいつまで続けるのでしょうか?