同じ失敗を繰り返すことは心地よいものだ!?
カール・マルクスは、1852年に刊行した著書で、自らの歴史観こう書いています。
「一度目は偉大な悲劇として、二度目はみじめな笑劇として」
俗に言う
「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として。二度目は喜劇として。」
です。
これをパロディー化させて、私の人間観を述べるならば
「人は失敗を繰り返す。一度目は悲劇および快楽として。二度目以降も、また同様に。」
失敗を繰り返すのって、意外にも快感なのかもしれません。
随分と突飛な主張をしているかと思われますが、ここで例を挙げます。
ゲームをやりすぎた結果として勉強が疎かになり、テストで悪い点を取った子がいます。
何をすべきかは、当人が低学年でもわかります。
ゲームを制限して勉強を多くするのです。
ですが、コロッと変わって勉強に快感を感じ、他方でゲームに吐き気を催すように変化するのでしょうか?
そんなことはありません。
引き続き、ゲームに快感を感じて勉強に苦痛を感じるのです。
「わかっているけれど、ゲームをやりたい。」
そうなる心理も、思い当たらないわけではないかと思います。
このことは成人にも言えます。
ある中高年の女性は
「私はブタだ。」
と自嘲するのです。
ルッキズムの助長になるかと思いますが、私から見ても、その女性の外見はぽっちゃりしています。
ならば改善策として何をするべきか。
誰でもわかりますよね。食事制限と運動です。要は、ダイエットです。
しかしながら、この女性は運動をしておらず、菓子パンを食べる姿を何回も目撃しました。
つまるところ、人間とは根源において
「不満足なソクラテスよりも、満足な豚」
を選びたがるのでしょう。
(*本来は逆。満足な豚より不満足なソクラテスたれ。「満足した愚者よりも不満足な賢者たれ」と、質的な快楽を求める重要さ言う箴言。)
他にも見られます。
昨今の流行語となっている「睡眠キャンセル(リベンジ夜更かし、とも。)」
睡眠時間を削って、動画鑑賞やゲームなどの楽しめる活動をすることを指します。
こういうことをしていると、遅刻やパフォーマンスの低下の原因になるわけですが...
こうなると、私は失敗を繰り返すのは喜劇ではなくてむしろ快楽を求めた結果であり、そして人間の宿命のように思えてくるのです。