日本のムスリム女性が見落としている見地
ムスリム・クリエイターの
アウファさん
画像はPR TIMESより借用しました
インドネシアにルーツを持ち、東京で生まれ育ったアウファさん。
イスラム教を信仰し、自らの意思でヒジャブを被っているそうです。
2024年1月12日付の朝日新聞3面に彼女の記事が掲載されています。
その記事にある彼女の体験を抜粋すると
「就労の際して、お客様の目があるのでヒジャブを外してと言われた。」
「イスラム教への偏ったイメージを払拭したい。しかし訴えても手応えがない。日本は共感力や想像力がいまいち。」
といったものになります。
筆者はこの女性を、この記事で初めて知りました。
もっと深く知るには他のインタビューや、彼女の発信を読むないし視聴する必要がありましょうが、それは別の記事を書く機会があったらにします。
朝日新聞の記事を読んだ限りで、私は猛烈な違和感を覚えました。
就労に際してヒジャブを外すことを求められることは、日本においては極めて自然である。
このことに対するしてアウファさん自身が共感力や想像力を見落とされていないでしょうか?
逆のケースを想像して欲しいのですが、イスラム教を信仰していない女性が中東において
「アメリカ人とか、フランス人とか、韓国人とか。そういう人たちと同じような服装で就労したい。」
と主張したらどうでしょうか?
雇用主は頭を抱えるのではないでしょうか。
また、筆者が中東で食品会社を経営するとしたら、アルコールや豚肉の取り扱いは控えることでしょう。
イスラム圏であっても、滞在している外国人向けに限定してアルコールを販売している国はあります。
それでも私が控えることをイメージするのは、決してハラーム(*イスラム教の教義で禁止されるもの)を気にしてではありません。
中東であっても、私は自宅で洋酒漬けのお菓子を食べるでしょうし、ワンタンのスープを食すことでしょう。
私が気にしているのは、現地のコモンセンスです。
アルコールや豚肉を大っぴらに扱っていると社会的信用が築きにくいと思われるからです。
ここで紹介したいエピソードがあります。
情報の原典を載せられなくて申し訳ないのですが、以下のような記事を読んだことを記憶しています。
イギリスにおいて。
スーパーマーケットで働くムスリムが
「イスラムで禁じられているアルコールに触りたくない。なので、お酒コーナーの担当を免除してもらった。」
と、イマーム(*指導者を意味するアラビア語)に話したところ、イマームは
「スーパーの配慮は親切だが、プロならいかなる商品でも対応しないと。」
と言ったそうです。
また男子医学生が
「講義や研修において、妻となる女性以外の裸を見ることになりそうです。」
と懸念を申すと
「そもそも、医者に向いていないのではないか。」
と返されたそうです。
イマームたちが申していることは、教義よりもコモンセンスを優先すべきだと言うことです。
社会に溶け込むための素晴らしい考えであり、イスラムの教えの縦糸に、イギリス社会のコモンセンスの横糸が見事に融合した対応だと思います。
さて、アウファさんの話に戻ります。
日本において、顔をスカーフ等で覆う人や文化は見られるのでしょうか?
強いて言えば忍者でしょうか。
いずれにせよ、極めて少数であります。
そのような中において、いかなる宗教的理由であろうとも、顔を覆う人物はインパクトを与えます。
顧客相手に、いちいち説明する苦労を与えたがる経営者がいるのでしょうか?
そうなるとヒジャブを外すことを求めることは極めて自然な流れであり、このことに対するアウファさんの共感力や想像力はどうなのでしょうか。
このことが疑問で仕方ありません。
日本でなじみの薄いイスラム教を伝えることは、アウファさんには好適だと思います。
しかしながら、アウファさんはコモンセンスを見落としていないでしょうか。