AI(人工知能)は嬉しいのか




AI(人工知能)を用いて様々なことができるそうです。
筆者は専門家ではないし、知りうる限りを詳しく書いたところで技術進歩が日進月歩であっては、すぐに内容が陳腐化することでしょう。

ただ、一つ例をあげるとするならば、故人の映像を元にして、その人があたかも現在の流行歌を歌っている動画を作れるそうです。
しかし、それは嬉しいことなのでしょうか。


こう考えさせれたのは、大物ミュージシャンやバンドのインタビューを見ていると、初期のころのライブ映像は残っておらず、写真や音声が少しあるのみだったのです。

その当時が1970年代や80年代前半であることを考えると、映像機器が高価で気軽に記録に残すことが困難であることからすると自然なことでありましょう。

そこでAIを用いてみると、どうなるでしょうか。
当時の音声や写真。
そしてブレイクしてからの後年のライブ映像を参考にして、AIによる再現動画を作ることは可能であることでしょう。

しかし、私はそのAI動画に嬉みを感じません。
私にしてみれば、それはバラエティー番組で見る、再現ドラマと同じ域を脱していないからです。
他の人も同じでありましょうが、例え粗い映像であろうとも、当時を映したオリジナルに価値を見出します。

結局のところは、AIは再現ないしモノマネでしかなく、オリジナリティーを有していないのです。


実は、このオリジナリティーの問いは、AIが本格的に普及する前から存在していました。

例えばコピー機。
いくらでも紙に刷ることができますが、コピーしたものは原本と同等の価値があるのでしょうか。

私にしてみれば、AIとは模倣の手段が追加されたに過ぎません。

更に究極の問いをしてみます。
恋人ないし配偶者が他界しました。
遺品を整理していると、愛のメッセージが収録されたビデオレターが発見されました。

さて、実はこれは友人が元気を出してもらおうと作ったAIであったら...

友人の気づかいは温かいかもしれませんが、動画の価値は猛烈に下がります。
どんなに名台詞を含めた高画質の動画であろうとも、そこに価値を伴えません。

こういった感性こそが我々を人間であり続けさせるのでありましょう。
さて、AIは嬉しいのでありましょうか。