ひきこもり ー絶望をゼロから発明するという職業ー



おことわり:本記事の内容は、筆者の個人的な体験から導いたものであります。


私自身、ひきこもりなのですが、つくづく思うのは
「ひきこもりとは、実に最悪だ。社会的にも非常に有害だ。」
ということです。

理由としましては、私自身の過去の体験・様々な場所で出会ったひきこもり当事者の言動・ひきこもり支援者の体験談、それらを総合してみると、私としてはひきこもりは物事の考え方が悪すぎる。」としか思えないからです。

たいがい共通している思考法は
  1. 「こうでなければならい!(※正し、この思考に根拠は無い。)」という、ねばならない型思考。
  2. 「必ず悪い結果になるはずだ!(※これまた、この思考に根拠は無い。)」という、悪夢が確定している型思考。
  3. 「他人の施しで生きていたい。」という、自立放棄型思考。
これらは、ひきこもりにとって金科玉条であり、これらを守り抜くには死をも厭わない。そんな印象すら受けます。

ひきこもり個々人で差があるのですが、上記の思考法を解説していきます。


1つ目は「完璧な人間でなければ、人から好かれないんだ!」だとか、「気の利いたおしゃべりができなければならない!そうでないと、絶対に他人から受けれてもらえない!」だとか、やたらとハードルを上げたがるのです。

2つ目は「私の言うことは、世間から笑われる。そして、炎上する。」だとか「私が何かに挑戦しても、必ず失敗し、そして嘲笑される。」という、信じられないほどのスポットライトが、世の中から当てられるらしいのです。

3つ目は、先述の1や2で悪しき思考をした結果として社会参加を拒否する結論を出しているという、単なる自爆。


これらの結果として、本人は苦しいし、周囲は大迷惑。
ゆえに私は冒頭にて、ひきこもりを「実に最悪だ。社会的にも非常に有害だ。」と定義したのです。

それでは、解決方法はどうすれば良いのか。
それは、思考のモードを変えることです。

ひきこもり特有の、思考法である
「よくよく考えたら何もないゼロの状態なのに、そのゼロの中から悪しき思考法を用いて絶望を発明してしまう。」
という、猛烈に悪趣味モードを変えることなのです。

(なるほど。ひきこもりが安全の中にも「危険がある!」と必死の形相でうそぶくのは、このためだ。)


変えるための具体的な方法につきましては、精神科医や心理カウンセラーに譲ります。
私は治療の専門家ではありません。
また、私の知りうる方法を述べるにしても、本がまるまる一冊できる文章量が必要になってしまうからです。
そして、短期間で変えることは無理でしょう。どうしても時間がかかるからです。


ここから話題を少し変えます。
思考モードを変えることを拒否した、ひきこもりについて言及します。
岩崎隆一(当時51歳)という害虫です。

この害虫は、子供の時に叔父夫婦に引き取られ、そして少なくとも青年期からは無職のひきこもり生活を続けていました。かなりの期間になります。
50歳を過ぎた時、叔父夫婦より自立を促す手紙を渡されました。叔父夫婦が高齢となっていることを考えると、誠に合理的な提案です。
しかし、害虫は手紙に激高しました。

そして、生活保護の需給を模索したり、シェルターに入ろうと試みたりだとか、福祉や医療と繋がろうとした痕跡は一切見られず、手紙から4カ月後に唯一とった行動は、川崎で通り魔に走ることでした。

児童1人と保護者1人の計2人が死亡。児童17人と保護者1人の計18名が重軽傷を負うという事件です。
続けざまに20人も刺していくだなんて、尋常な心理状態ではありません。強い決意で凶行に及んだのでしょう。

なぜ、凶行に走るための覚悟があるのに、生活保護でも何でもいいから、支援を得ることで自立しようと行動しなかったのでしょうか。

注記:犯人は長期間にわたり、ひきこもり生活を続けていました。このような人物が福祉や医療の現場に表れた場合、強い印象を与えるものです。
私自身もひきこもり当事者なのですが、ひきこもり業界当事者の肌感覚からして、強い印象が残る方が自然なはずです。

今回の通り魔事件後、福祉や医療の現場から、岩崎と接したことがあるという方が出て来ませんでした。
仮に接した方がいたら、その方は語るはずです。友人が相手かもしませんし、家族かもしれません。通り魔事件という衝撃的な事件と自らとに
接点があった場合、黙っているものでしょうか?
そして、そういう話はマスコミが聞きつけることが多いものです。

今回、それがありませんでした。
これらより、私は岩崎が、福祉や医療などに一切の相談をしていないと推測しています。

ゆえに、私は岩崎は支援を得ようと模索すらしなかったと結論づけています。]


しなかった理由は、害虫には思考モードを変える気が毛頭なかったからだと見ています。

「自分を支えてくれていた叔父夫婦が今までとは異なる態度に出てきた。
それにより無職生活存続が危うくなった。
思考をモードを変えて、新しい生活をするくらいなら死んでやる。それも、無垢の命を巻き添えにして死んでやる。」

これが害虫の結論ではないか。

よくよく考えると、このような絶望的な結論を発明する必要などなかったのです。
長きにわたるひきこもり生活を考えると、何がしかの支援を得られる可能性が高い。
ゆえに絶望する必要性が極めて低いにも関わらず、絶望を発明して凶行に至った・・・。


ところで岩崎隆一は、死んでから地獄の業火に焼かれていることだろうか?
そうして、永久に苦しむがいい。