ひきこもり地獄
「メンタルヘルス」
この言葉が私の人生の一部になったのは、いつのことでしょうか。
「几帳面」「慎重」
そういった、性格を表す言葉では明らかに収まり切れない状態になったとき、初めてメンタルヘルスという言葉に興味を持つようになりました。
その当時に売れていた芸能人は、今はどうしているでしょうか。
レギュラー番組を持つようになっていたり、はたまた売れなくなって見かけることが、すっかりなくなっていたり。
つまり、それだげの年月が過ぎてたわけです。
しなしながら、今でも問題は解決に至っていません。生きづらさを抱え、人生を楽しめていないのです。
十年後、私はどうしているでしょうか。
細かいことなんか気にせず、豪胆な性格に変わっているのでしょうか?
どんぶり勘定になっているのでしょうか?
いえ、やはり「メンタルヘルス」という言葉とつき合わざる終えないのだと思います。
閉じこもってなんかいないで開放的になれた方が、ずっと良いと思っています。
しかし、それが上手くできない。上手くやる方法も、いろいろ考えたが失敗してばかり。
その空回りの果てに、退避という手段を消去法で取っているのです。
「性格を変えよう。治そう。」
そう考えてきたのですが、それは可能でしょうか。
仮に変われるとしても、それは劇的な事件や事故を経ないと不可能ではないでしょうか。
ここで例え話です。
いつも出歩き、本を一冊も読まない人がいました。友達とお酒を飲んでおしゃべりし、あちこち出掛けてバカンスを楽しむ人です。
そんな人が、休みの日に自宅で一人、夏目漱石を読みふけるようになったら、何があったのだろうかと考えずにはいられません。
「癌になり余命宣告をされたのですか?」
「人生の意味を考えたくなるような、悲劇を体験されたのですか?」
こういった具合に。
おそらく、性格が大きく変わるとは、こういった極端なケースに限られるのではないでしょうか。
ある日、私はこんな言葉に出くわしました。
「折り合いをつける。」
ひとまず、自分を変えることに熱心になるより、神経質な自分を恥じたり、悩んだりしないことです。
「しかたない。」と考え、必要以上に苦しまないようにするのです。
それで気持ちの面に余裕が出てくるのなら、良いことではないでしょうか。