日本近代詩壇の巨人・萩原朔太郎の人生
萩原朔太郎
萩原朔太郎(はぎわらさくたろう)
辞書を引くと
「詩人。口語自由詩による近代抒情詩を一つの極点導き、詩壇に大きな影響を与えた。その名を冠した賞もある。」
と、大変な業績が書かれています。
しかし、生身の人間としての朔太郎は、何とも冴えない感じがします。
年譜で朔太郎の人生を追ってみます。
1886年
現在の群馬県前橋市に生まれる。
父は東京大学医学部を卒業した開業医。
1900年 14歳
旧制前橋中学(現・前橋高校)入学。
1904年 18歳
留年する。
1906年 20歳
旧制中学を卒業。補習科(予備校に相当する)に通う。
1907年 21歳
旧制第五高校(現・熊本大学)入学。
1908年 22歳
旧制第五高校を留年し、中退。
旧制第六高校(現・岡山大学)に入り直す。
1909年 23歳
旧制第六高校を留年。
1910年 24歳
第六高校を中退。
慶應義塾大学予科に入るも、中退。
1911年 25歳
再び慶應義塾大学予科に入るも、再び中退。
1912年 26歳
京都大学選科を受験するが不合格。
早稲田大学を志望するも、手続きが間に合わず。
1913年 27歳
前橋に帰る。
無職のため「のらくら者」と白眼視される。
1917年 31歳
第一詩集『月に吠える』刊行。
詩壇の寵児となる。
1919年 33歳
上田稲子と結婚。
1929年 43歳
離婚。
稲子は『結婚敗残者の手記』を雑誌に寄せる。
1934年 48歳
明治大学にて詩の講義を週1回担当する。
初めての定職。
1938年 52歳
再婚。しかし1年ほどで離別。
1942年 55歳
永眠。
いたずらに、スキャンダラスな部分を拾っていますが、この駄目ぶりが私には親しみを感じさせます。
なお、ユーチューブに朔太郎が詩を朗読する音声がありました。
これが、棒読み!
でも、そこが良いのかも!?
参考資料
- 新潮日本文学アルバム15 萩原朔太郎(1984)
- 前橋文学館 https://www.maebashibungakukan.jp/sakutaro