短篇小説 吾輩はひきこもりである
吾輩は、ひきこもりである。
年齢は・・・・言えない。
たった今、目が覚めたのだが、時刻は午前8時頃か。
否、時計は午前11時54分を指し示す。
ほぼ正午なり。
吾輩は、今朝こそは7時に起ようと誓っていたのだが、またしても寝坊した。
ああ、なんという罪悪感。
別段、約束事があるわけではない。
ゆえに、7時に起きようが、正午に起きようが、迷惑をかける相手はいない。
ならば「ああ、正午近くか。」の一言で済ませば良いはずだ。
そうはいかぬ。
妖怪が現れ、吾輩を叱る。
「きさま!せめて、世間様と同じ時刻に起ききることくらい、できぬのか?
ろくでなしめ!」
吾輩は、身を震えさせ
「妖怪様の、おっしゃる通りであります。吾輩は、情けない奴であります。」
と、一つも反論できない。
ひとしきり説教が終わると、吾輩はブランチを取る。
メニューは・・・・何でもよい。
胃袋を満たせれば、中身は不問。
食事を終えたらば、外へ出よう・・・・とはしない。
くわばら、くわばら。
いい年齢の人間が、平日の昼間に出歩くとは、周囲の視線が怖いこと極まりない。
最も恐ろしきは、近所の顔なじみの方々である。
「こんにちは。今日はお休み?」
このような声をかけられては、返答に困窮すること確実。
「いつ結婚するの?」
いえ、そんな。
友達すらいないのに、まして恋人を作るだなんて。
そんな高度な技術は持ち合わせておりませぬ。
行き着く先は、消去法でインターネットの世界になります。
似たような境遇の同輩は数多くいるのでありまして、昼間なのにリアルタイムでコミュニケーションをとれるのであります。
「今月で、無職歴が丸5年になる。」
「アルバイトに落ちた。」
「この2年、家族以外と会話をしていない。」
なんという会話でありましょうか!
このような会話を、オフィス街で見せますとリンチされ、死に至ることでしょう。
まるで駄目。
まるで駄目。
まるで駄目。
ですが、一切の虚飾なく等身大の姿を語れる場があることは、とても大切なのです。
しかし、ここにも妖怪が現れ、吾輩を叱ります。
「ネットなんかしてないで、体を動かせ。 運動不足だろ!」
吾輩は、身を震えさせ
「妖怪様の、おっしゃる通りであります。吾輩は、情けない奴であります。」
と、またしても反論できないのです。
ネットを閉じますと、何がしかポジティブな行為をしようと決意します。
「資格の勉強を・・・・。
しかし、何を勉強すれば良いのでしょうか。
それ以前に、吾輩を採用する企業はあるのでしょうか。」
ああ、雑念が次々に沸いてきて、気苦労が増えるばかりです。
やがて、重い苦しみを感じるようになります。
「ああ、ひとまず資格の件は先送りに。」
このように先送りをすること、数年。
起床時より重苦しい気持ちを抱えたまま、時刻は午後6時になりました。
テレビをつけてみましょう。
バラエティー・・・・は論外。
吾輩は何を見るべきか、過介入されて育ったのです。
ニュースの時刻。
ああ、東で殺人事件。
ああ、西で横領事件。
ああ、北で遭難事故。
ああ、南で交通事故。
暗い話ばかりですのでニュースは嫌いです。
テレビを消し、散歩に出かけましょう。
日没直後でしたら、治安は悪くないし、薄暗くて姿は見えにくいですから。
いつの間にか、季節が変わっておりました。
公園に咲く花々を見て、変化を感じます。
今日は、少し遠出をしてみます。
散歩はお金がかからないですし。
学生の集団が、楽しそうに通り過ぎて行きました。
人生をやり直せたら・・・・。
この学生くらいの年齢に戻れたら・・・・。
暗い気持ちになってはいけません。
ほら、野良猫のポチ(メス)が目の前にいるではありませんか。
「ポチや、元気か? よし、よし。」
猫は人を職業で判断しません。
動物だけが、心を開ける相手です。
と思っていたのですが、ポチが急に走り出しました。
「ポチ、おいで! ご飯だよ!」
近所のおばさんが、大量の牛肉を持ってきたのです。
「今日の牛肉は、松坂牛だよぉ。 おいしいかい?」
ポチはおいしそうに食べます。
ああ、猫も現金なこと。
頭をなでるだけで、何も与えない吾輩のことは意識の外に追いやられたようです。
もう帰りましょう。
帰ると、春雨ヌードルをすすります。
歩いたので、少しだけ食欲があります。
時計を見ると、午後7時半。
ああ!
午後8時ぴったりに、近所のドラッグストアなる、おしゃれな場所に行かなくてはなりません。
昨日、入浴した時に
「洗顔フォームが残り少ない。
これを欠いては、たいして美しくない吾輩の顔が、更にブサイクになってしまう。
これ以上の醜態をさらすことはできませぬ。
ああ、洗顔フォーム。
わあ、洗顔フォーム。
やあ、洗顔フォーム。」
と、悲鳴をあげたのです。
吾輩は、帽子とマスクを着用し
しかし、やや速足だったためでしょう。
7時57分に、ドラッグストアに着いてしまったのです。
この大失態に、またまた妖怪が現れます。
「なぜ午後8時ぴったりに着けないのだ?
きちんと計算できていないのか?
自分で決めたルールくらい守りなさい。」
吾輩は、やはり身を震えさせ
「妖怪様の、おっしゃる通りであります。
人が少ない午後8時を狙うべきであるとは、吾輩も重々に承知しております。
自ら決めた黄金のルールであるのに、事前調整のできない吾輩は、ろくでなしであります。」
と、またしても反論できないのです。
しばしの時間調整を経て、お店へ。
いつもの場所に、格安の洗顔フォームが・・・・無い。
ど、ど、ど、どこに消えたの?
あ、あ、あ、新しく置き換わっている洗顔フォームはいくら?
た、た、た、高い。
か、か、か、買えない。
吾輩は、ブルブルと震えだします。
そこで、奥の手を使うことに。
店員さんに聞いてみるという、勇気を要する行動に出ました。
「あの、すみません。」
「はい。いらっしゃいませ。ご用件はなんでしょうか?」
「洗顔フォームで・・・」
「え?なんとおっしゃいましたか?」
吾輩は小声であるため、聞き取れなかったのです。
「洗顔フォーム・・・」
「申し訳ありません、もう一度おしゃってください。」
吾輩は声量を上げようとしますが、思うようにいきません。
「洗顔フォーム・・・」
「あ、はい。洗顔フォームですね。」
やっと通じました。
「以前、ここに置いてありました洗顔フォームは、ありますか?」
「はい、あります。こちらのコーナーに移動しました。」
店員さんの指し示した先には、馴染みの洗顔フォームが。
吾輩は笑みを浮かべ「ありがとうございます。」と礼を述べるや、脱兎のごとくそのコーナーへ向かいました。
ああ、これで救われた。
今日初めての明るい気持ちになれた吾輩は、帰宅するやライトノベルを読むことにしました。
美少女とイケメンが、ドラゴンにまたがり、汚職官僚をボコボコにするファンタジーです。
主人公に自らを重ね合わせ
「今だ!税金泥棒撃退ビーム!」
と、高らかに叫びます(※心の中で)
そして、成敗した後に、喜びのキスをするシーンに胸を高鳴らせ、思わず甘い声を出してしまいます(※心の中で)
読み終えたところで、午前0時であることに気がつきます。
「入浴して、寝ないと。明日こそは、午前7時に起きないと。
昼夜逆転を治して、快活な一日に・・・・。」
この日も、吾輩は眠るのに苦労しました。
今日一日、もっと活動的になれたはずだと、反省会は始まるのです。
そして、午前3時を過ぎた頃に眠り落ちるのです。
これが吾輩の一日でありますが、それにしても、ひきこもりの生きる道はなんと過酷な道であろうか・・・・
<了>
あとがき
私がこの小説を書いた理由はいくつかありますが、最大の理由は
「どうして、ひきこもりの人は家にこもり続けるのかしら?」
と、知人女性がポツリと言った一言です。
ひきこもり
しかしながら、当事者は心の中で大きなもやもやを抱えており、常に重苦しい気持ちでいる人が多いと思います。
作中に妖怪が出てきますが、これは自動的に湧いて出くる自責の念を表しています。
自責の念の体験談は、当事者による講演や、医療現場のルポで、数多く発見できます。
「ひきもりの背景にあるのは、自動的に湧いて出くる妖怪がいる。」
こう伝えれば、あの知人女性も、少し理解を深められたのかもしれません。
なお、私には文才がありませんので、なんとか興味を持ってもらおうと、わざとパロディ調にしました。