ヘルプマークの悪夢


ヘルプマーク


ヘルプマークをご存じでしょうか。
以下、東京都福祉局の解説を、抜粋しながら引用します。
「外見からは分からなくても援助や配慮を必要としている方々が、周囲の方に配慮を必要としていることを知らせることで、援助を得やすくなるよう、作成したマークです。」
「ヘルプマークを身に着けた方を見かけた場合は、電車・バス内で席を譲る、困っているようであれば声をかけるなど、思いやりのある行動をお願いします。」
出典

とても素晴らしいと思います。
車椅子を利用している方、白杖を使う視覚障碍者などは、外見から助けを必要とすることが容易に想像できます。
しかし、必ずしも配慮を必要とする否かを外見で判断できるわけではありません。
そのような時に、ヘルプマークがあることで、周囲の理解促進に役立つということです。

どのよう方が該当するのかと申しますと
「義足や人工関節を使用している方、内部障害や難病の方、または妊娠初期の方など」
が、東京都福祉局に例示されています。

条件等は無く、支援や配慮を必要とするすべての人がヘルプマーク利用の対象となります。

しかしながら、私はあるヘルプマーク所持者の言動に驚きを持ってしまいました。


あるソーシャルメディアに、重度のうつ病等で自宅療養している若い女性のアカウントがあります。
仮に、この女性をKさんと呼ぶことにしょう。
私はKさんのアカウントをある程度の期間にわたって見てきました。

日常的に横臥(おうが)していることが多く、外出は精神科への通院くらいか、たまに調子が良ければ数分の近所の散歩だそうです。
かなり重い状態であることは容易に想像できましょう。

そんなKさんが、男性ダンス&ボーカルグループのライブを見に、お母様を同伴者として東京へ行ったそうです。

ちなみの、Kさんは住所を公開しており
「**県**市」
といった、具体的な地名を含んだ投稿や
「近所です」「庭先です」
と、画像をポンポン載せており、かなりオープンな方のようです。
ですので、Kさんの自宅住所に気が付いた人は多いことでしょう。
更に申しますと、ご自身のLINEのやりとりを掲載して本名が誰にでもわかる状態にしていたり、ある地方に住む元カレからDVを受けていたこと、その元カレとの子を妊娠したものの中絶手術を受けていたことも公開しています。
すっごくオープンなのです。


ともあれ、ドキシング(Doxxing:相手の個人情報をさらすこと)が目的ではないので詳細は言いませんが
住所より計算してみると、東京駅まで有料特急を含めて1時間以上かかる距離を移動してライブを見に行った模様です。

普段から自宅で横臥ばかりですので、気分転換も兼ねたかったのでしょう。

しかし、ライブの後の帰り道についての、ソーシャルメディアへの投稿に、私は疑問を持ちました。

ライブの帰りも結構ひどくて、何度も転んだり倒れて、母に引っ張られて立とうとしてもなかなか立ち上がれない、みたいなの繰り返してた。 東京駅で窓口でしか切符買えなくて、母がどんどん離れて、追いかけてたら過呼吸と動悸でうずくまっちゃって、ヘルプマーク見せてたけどみんな無視だったなあ。
(以上、Kさんの投稿を転載)

Kさんがヘルプマークを所持し、周囲に配慮を求める権利は有ると思います。
また、困っているときに助けを得られなかったのは不運に他なりません。

しかしながら、なぜ、同伴者を増やさなかったのでしょうか?
普段から、もっぱら自宅で横臥している人が、かなり思い切った外出をするのです。
ちなみにKさんは、通院した際に入院を勧められたエピソードを投稿しています。
ならば、東京駅からライブ会場の往復の間に付き添う人が居た方が良かったと思えてなりません。

これですと、ろくに装備をせずに登山をしたり、海で沖合いへ繰り出す人々のように軽率に思えてなりません。
そして、いざとなったら救助隊員に助けてもらえば...!?

ライブに行くことは、ご本人様の自由ですし、楽しみも欲しいと思いますので否定することはしません。

ですがKさんはヘルプマークの意味合いを
「周囲の通行人に、助ける義務を負わせるマーク」
だとか
「周囲の誰かしらかを、自分用のヘルパーに転換できるマーク」
と認識しているのでしょうか?

それとも
「母と2人では、いざという時に不安であるけれど、看護師さんの同行はお金がかかるから嫌だ。
いざとなったら、ヘルプマークを見せて誰かを看護師の代用にすればいいかな。」
と、露骨に考えたのでしょうか?

また、周囲を通りかかった人々は、いかなる都合であろうとも助けに向かわなければならないのでしょうか?

「どうすれば良いのか、不安で行けないよ。とまどう。」
「今は発熱した子供を迎えに行くことを優先したい。」
等々を抱えていても、自らの不安感や家族等を後回しにして赤の他人を助けに行く責務が生じているのでしょうか?
(注:助けに行くに越したことはありません!ですが、それは義務ではないです。)

どうも、私には、ヘルプマークを示して助けが来なかったことを、Kさんは「契約不履行」と同義のように解釈しているように思えてなりませんでした。

ソーシャルメディア上の短文では、真意はわかりかねます。


私は、Kさんの投稿を引用する形で、上記に挙げた自らの疑問を投稿しました。

ここで繰り返しておきますが
Kさんがヘルプマークを所持し、周囲に配慮を求める権利は有ると思います。 
また、困っているときに助けを得られるに越したことはないありません。

私が引用をした投稿をしてから約3時間半語、Kさんが投稿をしました。

精神疾患のこと話して、理解しなくてもいいから、そういうものなんだねくらいの知識として頭に入れてくれるだけでも充分ありがたい。 ほとんど家から出ないし、今まで趣味だったものができなくなるし、楽しめなくなる。 たまに娯楽を求めるとヘイトが向くのつらい。 娯楽さえプレッシャーの塊なのに。
(以上、Kさんの投稿を転載)

投稿の前半部分は、非常に共感できるものであります。
しかし、後半部分は妙に思いました。
この時には、Kさんは私のアカウントをブロックしていた模様です。
(*ブロックされて以降は、セカンド・アカウントからKさんの投稿を閲覧しています。)
ですので、おそらく私の引用投稿を念頭にして「ヘイト」と書いたと思います。

ヘイト=私のこと、という推測の通りという前提で述べますが、私はKさんのヘイトであるつもりはありません。
他者はどう呼ぶかはわかりませんが、自身としてはそのつもりはありません。

仮に私がこの先、街中等で倒れているKさんに出くわしたら、救急車を呼ぶなり、対処できそうな人に連絡するよう努めることでしょう。
相手がKさんであると認識していながらも。

10分後、再びKさんの投稿がありました。

今回のライブは5年ぶりで、変化を求めて行ったけど病的には早かった。 自信は無くした。 駅で発作が出てヘルプマーク見えるようにした話したら、ライブ行ってたくせにって思う人がいるのね。 まあわかるよ。 精神疾患はそういうものと思えないなら、心の安定のために関わらないでほしい。
(以上、Kさんの投稿を転載)

引き続き、ヘイト=私のことを念頭に置いている、の前提で続けますが、私はKさんがライブに行ったことを非難しておりません。
おそらく、Kさんはレッテルの貼り付けを始めている模様です。

その翌日の投稿です。

ヘルプマーク持って困ってる人をたまたま見かけてしまったのに、なんで見かけた人が助けなきゃいけなくなるの? みたいなこと言ってる人いたなあ。 難しいねえ。
(以上、Kさんの投稿を転載)

ここで私は
私はKさんが私の疑問を丁寧に読んでいない。
あるいは私が図星のことを言って激情に駆られた状態にある、と推定することにしました。

いずれにせよ、Kさんが私の意見に向き合う気が毛頭ないと判断しました。

おそらくKさんは
「あたしに肯定的でないことを言っている!イエス・マン/ウーマンじゃないから嫌だ!すぐにブロック!」
で即座に終わり、後は印象を頼りに投稿を続けている模様。


私の疑問をまとめます。
  • ヘルプマークを示したが助けを得られなかったことに、恨み節にも見える投稿をしている。しかし、それは周囲に義務を負わせるものではない。
  • そもそも重たい病気の人が、薄いサポート体制で遠出している。遠出を否定していませんが、なぜサポートを充足させてなかったのだろう?


Kさんは、遠出をしたばかりで余力が乏しいと思いますが、以下のような投稿をしておりません。
「ヘルプマークで、助けに来る人がいる世の中になって欲しい。」

社会について考えた投稿がなされておらず、Kさん自らに助けが来なかった不満。および、私が疑問を呈したこと(イエス・マン/ウーマンではなかったこと)への不満を投稿しております。
つまり、自らが満たされなかった不満を爆発させており、社会状況の改善という考え(Kさんを含めて他の人も)は持っている様子が見られません。
「あたしが満たされることが重要。他の人の件はどうでもいい。」
なのでしょうか?
「あたしが満たされ、他の人も満たされる。」
と考えているのでしょうか?


さて、ここで私自身がヘルプマークを所持していながら、助けが必要になったらどうするの?
と言う問いに答えてみます。
おそらく、ここまで読んできた皆さんの中には
「そう言うお前は?」
と思っていることでしょう。

私は、倒れても助けが来ないことを覚悟しております。
そうである可能性が、他の人であっても高いのが現実だからです。
これが日常の真の姿です。

もちろん、こんなのは冷たい世界です。
こういうことが私の肉親にあって欲しくはないですが、それは高すぎる希望でありましょう。


これは私の勝手な願望ですが、Kさんのフォロワーさんから以下のようなコメントがあふれることを願っています。

「どうすれば、相手に助けてもらいやすくなるのかな?上手なSOSの発信方法ってあるかな?」
「助ける側って、どうしたら良いのかな?体験のある人はいたら教えてもらえますか?」
「私は今日から、可能な範囲で助けることを実践します。」

あるいは、このような提案および実践が出てくるのも良いでしょう。
「今度、Kさんがライブに行く時に看護師を手配できるよう、クラウドファンディングをしよう。
付き添いは保険が効かないので高くなるから。
私、千円出します。」
など。

でも、不可能でしょう。
Kさんを賛美するコメントと、謎のヘイトさんを批判するコメントで埋め尽くされることでしょう。

私だって、助けるには勇気がいります。
私だって怖いです。

私は実際に倒れている人を見たことがりますが、恐怖ですよ。
この場合は、先にいた人が既に助けを呼んでいましたが。

ご自身が動けなかったら  あるいは、動きたくなかったら  謎のヘイトさん...本当にヘイトなのでしょうか?ただ単に異なる意見を持っているだけではないでしょうか...を叩いて自己肯定をすることが続くのです。

ヘルプマークめぐるギャップは、悲しいほど長く続くことでしょう。


なお、この記事をKさんがお読みになっても(そもそも丁寧に読むのでしょうか?)全くかまわないのですが、Kさんは私のことを嫌っているので、読者の皆さんがKさんが誰なのか推測して記事の存在を教えに行く必要はないと思います。

最後に、私はKさんの寛解を願っています。これは皮肉などではありません。
過去に自殺未遂をした投稿に、私は緊張感を感じましたもの。


追記

顔面蒼白の経験をしました。
この記事の下書きを書き終えた後、私は神奈川県川崎市にいました。

片側だけで4車線ある道路の横断歩道で、赤信号なのに渡り始めた視覚障碍者用の白杖を持った男性がいました。

車はものすごい量が通っています。
周囲には私以外の人もいましたが、無言のままです。
しばしあっけにとられていた私ですが
「赤だよ、赤!戻って、戻って!」
と叫びました。

これで白杖の男性は止まり、Uターンして事なきを得ました。

ここで注意しなければならないのは、周囲の人々が無言であったのは残念ですが、責めてはならないことです。

たまたま居合わせただけで、赤の他人への責務を負わねばならない義務は無いからです。

仮に私自身が将来に盲目となり、白杖の男性になったとしても、そのように言い切らねばなりません。