20世紀アルバニア もう一つの歴史:ゾグ1世とその子孫



アルバニアの位置

ヨーロッパに、アルバニアという国があります。
南隣はギリシャ、海を隔ててイタリアと向き合う国です。

この国の20世紀の歴史をめぐるエピソードを紹介します。


時は1925年。
第一次世界大戦が終わって約7年経つ時です。
ゾグという人物が大統領になりました。

ゾグ

彼はとても独裁的な人物で、3年後には王様になることを宣言し、ゾグ1世となりました。

ところが11年後の1939年。
海を隔てて向かい合うイタリアが、アルバニアに攻め込んで占領してしまいました。
こうなると、ゾグ1世は外国に逃亡する他ありません。
この時、息子が生まれていたのですが、生後2日という新生児の状態でした。
当然ながら、息子も一緒に国外に脱出しました。

ゾグの息子、レカ1世

その後、アルバニアは1944年に占領から解放されるのですが、ゾグ1世らはアルバニアに帰国することができませんでした。

なぜなら、アルバニアを解放するために現地で抵抗を続けたリーダーであるホッジャという人物は「王様なんていらない」という考えの持ち主だからです。

その後、ゾグ1世は亡命先のフランスで1961年に他界します。
そして、ホッジャも1985年に他界。

やがて、アルバニアの政治家たちの考え方も変化していき、ゾグ1世の息子であるレカ1世のアルバニア入国を認めるようになっていきました。

そして1993年、レカ1世は生後2日でアルバニアを離れて以来、実に54年ぶりの入国を試みます。
ところが!
入国に際して、手続き書類の職業欄に「国王」と書きました。
王制の復活を正式に認められたわけではないので、アルバニア政府はレカ1世の入国を拒否しました。

ですが結局、1997年にはアルバニアに入国することができました。

レカ1世には息子がいます。レカ2世です。

レカ2世

彼の生まれはユニークです。
1982年に生まれたのですが、当時、父であるレカ1世らは南アフリカにいました。

まだアルバニアには「王様なんていらない」と考えるホッジャが居た時代です。
しかしながら、なんとか息子であるレカ2世を、アルバニアで生まれたことにしたいと考えました。

そこで編み出された奇策が、南アフリカの首相に頼んで「分娩室を一時的にアルバニアの領土としてもらう」というものでした。

現在、存命なのはレカ2世のみとなります。
アルバニアに住み、政治活動をしているのですが、王制復活の世論は盛り上がっていません。
一部の支持者にのみ、王制を期待されているそうです。

アルバニアを巡る、ユニークなサイドストーリーでした。


参考資料