鬱(うつ)病好きが、積極的にとりたがる行動
[編集注:この記事は、あくまで筆者の私見を書いています。メンタルヘルスの問題は、有資格の専門家に相談しましょう。]
うつ病・・・。
苦しいですよね。
お身体は、いかがでしょうか?
ご気分は、いかがでしょうか?
「すぐれない。」
「とても悪い。」
などなど、重苦しい言葉しか出てこないことでしょう。
「こんな苦しみからは解放されたい!」
「いつまで、このような苦しみが続くのか。」
そんな思いが強くあると思います。
しかしながら、あなたは行動を変えたいと思っているのでしょうか?
こう申しますのは、何かを変えなければ今の状態がずっと続くからです。
個人的なことを申しますが、私自身もメンタルヘルスの問題に苦しめられてきました。
完全に脱却できたわけではありませんが、私なりに、メンタルヘルスの問題には以下のような特徴があると考えています。
1)思考の整理をしたがらない
私の見聞の限りでありますが、大いに悩み苦しんでいる人は、状況の整理と把握をしようとしません。
整理をするにはペンを手にして、問題を紙に書くことで大部分が可能となります。
あまりにも単純ですが、その効用はメンタルヘルスに限らず、日常の様々なシーンで体感していることでしょう。
例えば「やることがたくさんある。何から手をつけようか・・・。」と混乱している時。
そんな時は、やるべきことを書き出して優先順位をつけていきますよね。これをするだけでもパニックの度合いが下がっていきます。
ならば、どうして心の悩みにも応用しないのか。
いや・・・恐ろしいことに、混乱した状態を維持したがっているのではないか。問題の把握と課題の整理することを拒絶しているのではないか・・・。
2)リサーチをしない
悩み苦しんでいるのは、ネガティブな思考に頭が支配されているからです。
「私は必ず失敗する。成功なんかできない。」
「私は莫大な責任を背負わなければならないんだ。背負えなかったら私は失格なんだ。」
などなど、人の数だけ様々な絶望が発明(!)されます。
しなしながら、それらの発明が正しいのか。
全くの見当違いであったり、過大な評価をしていないか。
それを検証する方法として、似た事例をリサーチするという方法があります。
本当に失敗するのか。仮に失敗するにしても決して致命的とは言い難いレベルではないのか。
本当に大きな責任が発生するのか。法律を調べてみると、その責任の範囲は限定的ではないか。
あるいは、本当に周囲は責任について攻め立てるのか。周囲に「もし、これを失敗したらどう思いますか?」と仮想条件を質問してみる。
しかし、これまた不気味なことに、悩み苦しんでいる人は、リサーチをしたがりません。
これでは現実がどうなっているのか、とんと理解することができません。
それほど、自らの発明を守りたいのでしょうか?
3)行動をしない
思考の整理をして、恐れているイマジネーションが本当なのかリサーチをする。
いきなり大きなことをする必要はありません。小さくて簡単なことからでも結構です。
「私は異性から嫌われる という激しい考えがある。」それが自らの課題だとしましょう。
リサーチの結果、少なくとも不潔ではなく、無礼な態度でなければ、嫌われることはないという仮説がたてられた。
では、実証実験として何を行うのか。
独身の異性をデートに誘う?
それも手段でしょう。ですが、もっと簡単な方法もあります。
街中の小売店で、異性の店員に話しかけるのです。
「これこれは、どこにありますか?」
その時に、相手はどのような反応をしているのか。
しかし、このような合法的で、簡単な行動ですら、手をつけたがらないのです。
「そのようなことをしては、私の人生は終わる。」
など、人生最大の危機が訪れると予言するのです。
しかし、どうやって予言を出しているのでしょうか?
結局、行動はなされず、悪しき状態は固定されるのです。
こうなると、私は「これらのアプローチを避ける人は、うつ病好きと言わざる負えない。」と思えてしまいます。
・・・・・何を隠そう、私自身がうつ病好きの一人だったのです。
上記のアプローチとは逆の行動を積極的に取っていたのです。
無駄に苦しいだけの日々。
もうそのような日々には、二度と戻りたくありません。