1人で死ね!=1人で悩め!
2019年5月、神奈川県川崎市において通り魔事件が起きました。
小学生が殺されてしまうという、痛ましい事件でした。
事件の詳細につきましては、各種報道を参照してください。
犯人は長年に渡って、就労せず、周囲からも孤立した生活を送っていたと報道されています。
犯人は凶行後に自殺をはかって死亡。動機について未解明な部分が多いままです。
さて、犯人が見ず知らずの相手を殺傷した後に自殺したことについて、一部では「1人で死ね。」という批判が起きています。
なるほど。何の罪もない人々を殺傷したことは許せないものです。
例え犯人が大きな問題を抱えていたとしても、人を殺傷することを肯定する理由にはなりません。
それゆえ、周りを巻き込むとは何事だ!という怒りが出てくるのは無理もないことでしょう。
しかし「1人で死ね。」という言葉には、突き放したニュアンスが否めません。
上記の言葉を発した人々は、もしも犯人から相談を受けたら、以下のように答えたのでしょうか。
「長年ひきこもりです。社会復帰の方法がわかりません。」
「知らねーよ。1人で解決しろよ。」
「もう中高年です。人生は悩みだらけです。」
「悩みなんか聞かねーよ。1人で悩めよ。」
他者の悩みを解決することは大変です。
多大な時間と費用がかかりますし、スキルも必要となることでしょう。ですので、助けを頼まれても、無理であれば断ることは決して無礼ではありません。
しかしながら、最初から切って捨てる思考方法は、健全なのでしょうか?
もし仮に、通り魔犯が鉄道自殺をしていたとしましょう。
ご期待通り
「なんだよ、通勤の時間帯に飛び込むなよ。」
と罵倒するのが手本となるのでしょうか。
「飛び込んだ人、誰かに相談できなかったのかな?」と、ごく簡単な、そして前向きな発言には至らないのでしょうか。
「1人で死ね。」発言は、私には「1人で悩め。」と言っているようにしか聞こえませんが・・・。